3. 国譲りKuniyuzuri
大国主之命(オオクニヌシノミコト)が進めていた国造りも子孫の 代ともなると乱れ始めてきていました。 高天ヶ原(たかまがはら)の神々は協議し、そろそろ天照大神(アマ テラスオオミカミ)の子孫が取って代わり治めたほうがよいとの結論を 出したのです。
そこで、天之穂日之命(アメノオシホミミノミコト)、天之若日子(アメノワカヒコ)、 雉之鳴女(キジノナキメ)、建御雷之神(タケミカズチノカミ)を大国主之命のもとへ使者とし て遣わしました。しかし、いずれも出雲の大国主之命の威徳と勢力が強大で、その役割を果たすことが出来ず、 ついには出雲の地にて暮らす様になってしまい、高天原へ帰ってくることはありませんでした。
そこで、高天原で再び協議の結果、建御雷之神(タケミカズチノカミ)と天之鳥船(アメノトリブネ)を遣わしたのです。

大国主之命はついに、壮大な宮を造ることを条件に国譲りに同意します。
このときに造られたのが出雲大社です。
これ以降、大国主之命は、「顕事(目に見えるこの世を治めること)」を天照大神に譲り この出雲大社から「幽事(目に見えざる世界を治めること)」を司ることになりました。
それ以来、毎年、神無月(出雲では神有月)には、諸国の神々が出雲の大国主之命の下に集まって会議を開き、様々な事柄について 相談し、各諸神の報告を聞き各人の希望などを諮りながら、男女の縁、その他にも多くの人と人との縁などを定め結ぶとされています。
また、天之穂日之命(アメノオシホミミノミコト)は、この後、大国主之命に仕え出雲大社の祭主となりました。
国譲りは「出雲国の伊耶佐(いざさ)の小浜」で行われたとあります。そしてそれは現在の島根県大社町の稲佐浜と されています。